「光輝く中の喧騒」ディスコブームでフィーバー 歌舞伎町は不夜城だった

昨夜、NHKの「たけしのその時カメラは回っていた」で、昭和の頃のディスコブーム不夜城の新宿歌舞伎町を取り上げていたのを、懐かしいなあと思いながら見ていると、当時のことが次々と思い出されてきて、思わず笑えた。

あれは私が18歳の時だった。
サタデーナイトフィーバーという映画が世界的に大ヒットして、ディスコブームになった。

主演のジョントラボルタが演じるペンキ職人が、土曜の夜だけは、ディスコでスターになれる。
やがて、ペンキ職人の彼は、知的な女性と知合いになり、二人でダンスコンテストに出場することになる。
この映画のラストシーンは、その二人がコンテストで踊るシーンなのだが、これが、とても素敵だった。

流れていた曲は、ビージーズのモア ザン ア ウーマンじゃなかったかな。

最高だった!

この映画は、日本でも大ヒットして、一大ディスコブームが到来した。

世の中なんでも「フィーバー、フィーバー」と、フィーバーと言う言葉が流行語になったぐらいだった。

当時、私は大学生で名古屋に下宿していたのだが、名古屋駅の近くにあるレジャックビルにあったディスコ、ステージ7に、友達とよく行っていた。

ハローミスターモンキー 宇宙のファンタジー ブギーワンダーランド 怪僧ラスプーチン フライデーナイト ・・・・・・・・

「覚えているものだなあ」次から次に当時流行っていた曲名が思い出される(⌒∇⌒)

そうそう、マッチョマンは、西城秀樹が歌ったY M C Aで、日本でも大ヒットした。

名駅のステージ7の他にも、栄のディスコとかにも行っていたのだが、それだけでは納まらずに、その頃、東京に下宿していた友達のところに遊びに行き、新宿歌舞伎町のディスコにも何度か行った。

店の名は、カンタベリーハウスとかシンデレラだったかな。

初めて歌舞伎町に行った帰り、深夜の0時頃だったかな、

驚いたなあ!

真昼間なんだもの。

すぐに「不夜城」と言う言葉が浮かんだ。

「光輝く中の喧騒」

ちょっとした衝撃だったなあ(笑)

歌舞伎町に行ったのは、その時だけで、その後は、たまに東京に行くことがあっても、赤坂とか銀座で飲むぐらいのもので、歌舞伎町に行こうとは思ったことはなかったなあ。

年齢とともに、あの場所から離れていったということかと、昨夜のテレビを見ながら思った(笑)。

「サタデーナイトフィーバー」また見たくなってきた。