脱サラして独立を決心した理由「自分が納得できる生き方をする」

数人の営業マンがテーブルを囲み、その中心に営業の司令塔である役員が座っている。

「どのようにして売り上げを伸ばすか」を話し合う重要な会議なのだが、誰一人発言をしようとはしない。

会議室には、息が詰まるような重苦しい雰囲気が漂う。

「発言したら負け」そんな暗黙の了解が営業マンの中にはある。なぜなら、既にこの役員の方の頭の中には「こうすべき」という考えがあり、それに反する発言をしようものなら、頭ごなしに否定されるだけ、返って疎んぜられるだけだ。

その「こうすべき」という考えが「なるほど」と思えるものであればまだいいのだが、的から外れた指示が多いため、営業マンはどうすればいいのか困惑するばかりなのだ。

もう何年もこういうことが続いているので、当初はやる気があり前向きな発言をしていた営業マンも、「どうせ何を言っても聞いてもらえないのだから」とあきらめて、だんだんと発言しなくなりやる気をなくしていく。

そのうえこの役員の方が、暗いときている。リーダーが明るければ、社内も明るくなるものだが・・・・・

そんな会社の雰囲気がどういうものであるか想像がつくと思う。

生気がないのだ。

ではなぜそんな状況が何年も続いているのか・・・・・

もともとこの役員の方は経理畑出身でその方面の仕事には長けている。しかしながら、営業は大の苦手で、営業での実績はなく、社長の身内ということで役員まで出世していたのだ。

だから、そういう方が営業の司令塔をしているという、なんとも摩訶不思議なことが起きているのだ。

まあ、どこかで聞いたような話ではあるが、そんな状況下で働いている社員は堪ったものではない。

私は微力ながら「なんとか改革できないものか」と自分なりに頑張ってみた。

誰も発言しようとしない会議でも、できるだけ前向きな発言をしたり、なんとかムードを盛り上げようと、お客さんとの感謝祭を計画したりもしたが、発言すればするほど逆に自分の立場を悪くするだけだった。他の営業マンの考え方も変わることはなかった。

「この会社にはびこっているいる悪しき伝統は、ちょっとやそこらでは変えられない」。

だんだんと私は疲れてきて、徒労感を感じるようになっていった。

私がこの会社に中途採用され、入社して10年と半年が経っていた。

私はそれまでにも、二つの会社にそれぞれ10年間と5年間勤めたことがあり、他の会社を知っている分、ずっとこの会社に勤めている人には見えていない部分まで見えていたのかもしれない。

「見えなかったほうが良かったのかもしれない」「私がこの会社にいることが、おかしいのかもしれない」そんなふうにも思えてきて、次第に私は独立を考えるようになった。

そのとき私は49歳。

定年まであと11年、自分のやる気を押し殺し、このままその風潮に合わせて、のらりくらりと定年まで勤めることはできるだろう。

しかしながら、そうすることは私にとって「生きる屍」のように思えた。

時間がもったいない。

今ならまだ新しいことを始められる。

まだ体力、気力はある。

頭を下げることもできる。

これが52、53歳になると、もう定年まで勤めるだろう。

もしここで独立しなかったら、死に際に「あの時、やってみれば良かった」、そんなことを思うかもしれない。

独立してからの収入はどうなるか、

二人いる子供たちはまだ中学生と小学生で、これからお金がかかる、

「やっていけるのだろうか?」という大きな不安。

大学を卒業して27年間、会社勤めをしてきた。その間何度かの転職も経験した。

世の中にはいろいろな仕事がある。

それぞれの会社には長所があれば短所もある。

この会社にも「いいところ」はいっぱいある、感謝もしている。

一か月間ぐらい、いろいろなことを考え悩んだ。

「今までの経験の集大成だ」

「最後は自分で思うようにやってみよう!」

私は独立した。

早いものであれから10年が経つ。現在私は、会社勤めをしていた時に取得した「宅地建物取引士」の資格を生かして不動産業をしている。

あのとき「独立して良かった」と思っている。