不登校「無理をしてまで学校に行かせる必要はないのでは」

テレビや新聞で、親が「子供が学校に行きたくないと言って困っているのですけど、どうすればいいでしょうか?」という相談を見かけることがある。
そんな相談を聞くたびに、私は「どうして、そんなに子供を学校へ行かせたがるのか」と、不思議に思っている。

私は、子供が「行きたくない」と言うのであれば、「無理強いをしてまで行かせる必要はない」と思っている。

ただし、行きたくない理由は何なのか?子供に聞いてみる必要はあるし、それを持って、担任の先生や学校側と話し合いの場を持つことは必要だろう。

担任の先生や学校は信頼できるか、確認をするため学校へ行った

私には、長男と長女と二人の子供がいる。
長男は既に社会に出て働いていて、娘の方は、現在、専門学校に通っている。
その子供たちが学校へ通っていた時にあったことをお話します。

長男が中学校一年生の時に、妻から「息子がクラスの子から一週間ほど続けて殴られている」という話を聞かされた。
まあ、詳しく聞くと「殴られたというより、小突かれている」程度の話だったのだが、日頃は、些細なことで親が口出しをするべきではないと思っている私ですが、「ここは父親が出ていった方がいいかなと考え、参観日がある時に担任の先生と話をするために学校へ行きました。

授業風景を見ていると、後ろの方に座っているやんちゃそうな男の子や女の子は、授業はそっちのけで好きなことをしているような、先生の抑えが効いていない状況だった。

妻から「学級崩壊」の状況だとは聞いていたので、「あーこういうことなんだな」と納得した。

参観日の後、先生と親との懇談会があったので、私がまず口を開いた。

「先生は、ああいう子供たちをどうして注意をしないのですか!」と。

そうすると、他のお母様方も堰を切ったように「うちの子はこういう目にあったのに、先生は悪さをした子を怒るのではなく、うちの子を怒った」とか、「消しゴムを取った子を注意しない」とか、それまでに積もり積もっていた不満が一気に噴出して騒然となった。

その先生は感情的になられて「私は注意しています!」と反論されてはいたが、私には「この先生では無理だな」と思えた。

その懇談会とは別に、学年主任の先生が、息子が小突かれていることに対して、その小突いている本人も同席させて、私と息子と話をする席を設けてくれていた。
その先生は、父親が来ているというということもあり、その子を怒り謝らせようとしていたのですが、それは私の方から静止して、その子に「小突かれたら痛いから、仲良くしてやってな」とひとこと言った。
その子は素直そうな子で「この子なら話せばわかるな」と思えたし、学年主任の先生も、信頼できそうな先生だった。
その子は家に帰ると、お母さんにその日のことを話したのだろう。
お母さんから私の妻にお詫びの電話があったと聞いた。
その子は「お父さんが自分のことを怒るでもなく、話をしてくれたのがよかった」とお母さんに報告していたそうだ。
それ以来、息子がその子から小突かれるようなことはなくなった。

次は娘の場合です。

娘が小学校3年生の時だったかな。
学校でいじめられているという話を妻から聞いた。

ここは、一度私の方から担任の先生と話をしたほうがいいかなと考え、アポを取り学校に行った。

担任の先生に娘がいじめられている状況を話したところ、先生は「それは知らなかった」と言われた。
いじめをしている生徒たちも、コソコソと先生にわからないようにやっているのだろう。
私は先生にお願いした。
。「いじめている子たちを、直接注意するようなことはしなくてもいいから、その子たちがどのようにしているか注意して見ていてください」と。

しかし、その先生は、その子たちを注意するような態度を取ったため、私が学校に行き先生と話したことが、その子たちにわかってしまい、その後、娘に対する風当たりが強くなったと聞いた。

私は、担任の先生と話をした際に、この先生からは熱心さが伝わってこず、この先生ではだめだろうなと思えたので、娘に「もう明日から学校へ行きたくなければ行かなくていい」と言ってやった。

その後もいじめはあったが娘が行きたくないという時は休ませて、無理には行かせなかった。
そんな感じで、長期に渡り不登校になるということはなかった。

娘に対するいじめは、中学生の頃もあったが、同じように「行きたくない」という時は休ませた。

妻は「なにがなんでも行け」という態度だったので、休みたいという時は、私が学校に連絡して休ませていた。

その後、娘は高校で進学校に入学したが、自分が考えている道とは違うと判断して、途中から、通信制の学校に変わり、空いた時間には、自分が興味を持っているデザインの学校に通い、卒業後は県外のデザインの専門学校に通っている。

私がなぜ、「無理をしてまで学校に行かせる必要はない」と考えているのか

それは、「子供たちが将来に向けて進んで行く道はたくさんある」ということ。

ありきたりに学校に行き、卒業して、会社に入るというような道だけではなく、子供たちが進んでいく道はいくらでもある。
我々が育った昭和の頃とは違い、生き方が多様化してきているし、ネットの世界にもいろいろな可能性があると思う。

もし、不登校になったとしても、別に悲観するようなことはない。

要は、思考錯誤しながらそれぞれの子供の個性にあった道を探していけばいい

「その子供に合った居場所を見つければいい」

現在の教育システムには無理があるのでは

冒頭で、担任の先生や学校は信頼できるかと書いたが、一般の会社にも、お客さんのことを考えて、誠意を持って熱心に仕事をしている人もいれば、そうでもない人もいる。

子供の人生を預かっているような教育者がそうであっては困るが、中には、そうでない人もいるだろう。

それに、昔とは違い、世の中が複雑になり、先生方もしなければならないことが多くて大変なのだろう。

先生たちからは「もっと子供たちに向き合う時間を取りたいが、やることが多すぎて難しい」という声も聞く。

ましてや、一クラスに何十人もの生徒がいるのだから、生徒一人一人に目が行き届かなくても無理はないともいえる。

現在の教育のシステムがそうなのだから、私は「自分の子を守るためには、学校へ行かせないというのも一つの方法だと思っている」。

子供に問題が起きた時には、母親だけではなく、父親も学校に行って、先生と話し合えばいい

私は「日頃は学校を信頼して、些細なことで、ああだこうだと言うべきではない」とは考えているが、「子供に問題が起きた時には、担任の先生や学校側と膝を突き合わせて話し合うことが必要」だと考えている。

そして、「そういう時は、父親も出ていった方がいいだろう」と思っている。

世のお父さん方は仕事があり、そうはできないかもしれないが、「子供の将来がかかっているのだから、時間を作って行ってあげればいいと思う」

私はそういう時は、仕事よりも大事と思っていたので、仕事を休んででも行っていた。

たまに学校へ行くと、日頃の日常とは違う世界が見えるものですよ。(⌒∇⌒)