先日の新聞に、不登校の子供を持つ母親の苦悩が書かれていた。それは「学校へ行きたくない」という子供の心情を母親が理解して休ませていることを、父親の両親から「どうして学校へ行かせないのか」と責められているという話だった。
私が思うのは、この子供の父親の両親は「現在の学校の状況をどれだけ知っているのだろうか?」「自分たちの目で、現在の学校の状況を見たことがあるだろうか?」ということだ。
やはり、子供のことを身近で見ている母親が、「子供のことを、一番よく理解しているのではないか」そうであれば、現状を知らない「祖父や祖母が口をはさむべきではない」と思う。
もちろん、祖父や祖母も、可愛い孫のことを考えて、進言してくれているのだろうが。
現在の教育システムを信頼していない
私は、現在の教育システムを信頼していない。
「一人の先生が、一クラス30数人の子供たちをみる」ということに無理があると思っている。
私がそう考えるようになったのは、息子、娘の小中学校時代に、私なりに学校と関わってみた経験からだ。
息子が小学校から中学校へ上がるとき、入学前に、親が中学校の様子を見学できるという機会があった。
そのとき、私は行かなかったのだが、見学してきた妻から、
「びっくり、生徒が煙草を吸いながら、廊下を歩いているんだもの」との話を聞かされた私は、
「先生たちは何をしているんだ、なぜ注意しないのだ」と先生に対し腹立たしさを覚えた。
私たちが中学生の頃だったら考えられない、
当時、もし、そんな生徒がいたら、先生に引きづり回され殴られるところだったろう。
と、そんなふうに思っていたのだが、
「待てよ」、俺は「その光景を自分の目で見たわけではないのだから、自分の目で確かめるまでは、うかつなことは言えないな」「機会があれば学校に行ってみよう」と考えるようになった。
クラス崩壊
私の息子が中学校1年生のとき、4~5日続けて殴られて帰ってきたことがあった。
妻は「殴られた」と言ってはいたが、息子に聞くと「叩かれた」という程度のようだった。
私は基本的には「親が学校へ出て行きどうこういうべきではない」と考えていたのだが、このときは「父親の私が学校に行き話をしたほうがいい」と考え、学校へ行った。
学校へ行くと、授業を受けずにいる生徒と先生が外の階段に座り、なにやら話込んでいる姿が目に入った。
おそらく、従業を受けない生徒に先生が説得をしていたのだろう。
当日は参観日だったので、まず、授業参観をしたのだが、教室の後ろに座っている女の子が、鏡を見ながら髪をとかしたり、周りの生徒たちと話をしている。
その様子を見た私は「どうして先生はこの子たちを注意しないのだろう?」と疑問を持った。
授業参観が終わり、担任の先生との懇談が始まった。
私が開口一番「どうして先生はあの子たちを注意しないのですか?」と問いただすと、
「私は日頃から、いつも注意しています!」と感情的になって答えられた。
そうしたところ、周りにいたお母さん方が「うちの子にもこういうことがあったのに、先生はいたずらを注意した子たちを怒るのではなく、うちの子を注意した」とか、「うちの子にもこんなことがあった」とか、それはもう、せきを切ったようにいろいろな話が噴出した。
お母さん方は、今まで、「言いたくても言えなかったのだろう」
それを私が口火を切ったものだから、言いやすくなり、今まで積もっていた思いをぶつけたのだろう。
この先生は、10年間、クラスの担任をしておらず、担任をするのは久しぶりだったらしい。
それが原因かどうかはわからないが、生徒たちになめられ、日頃から授業になっていないとは聞いていたので、「こういうことだったのだな」と納得した。
その後、うちの子が殴られたという話の方は「この担任の先生では対応が無理だろう」と考えられたのか、学年主任の先生と話をした。
その場には、殴った方の生徒も呼ばれていたのだが、私はその子を見るなり「この子なら話せばわかるな」と感じたので「殴られたら痛いから、仲良くしてやってな」というぐらいの話にしておいた。
先生は、私の手前、その生徒を厳しく怒ろうとしたが、私の方から「先生そんなに怒らなくていいですから」と制止した。
その夜、相手の生徒の母親からも「お詫び」の電話があり、その後は、そういうこともなくなった。
時代が変わった 我々の頃とは違う
息子が中学3年生の時に私は補導部長をした。
その経験から分かったことは「先生方は一生懸命やられている」ということだった。
そして感じたのは、先生と生徒、生徒の親と先生、その関係は、よく言えば「フランク」、悪く言えば「ぬるい」、私たちが中学生だった頃の「先生は絶対的な存在」という時代ではないのだ、「時代は変わったのだ」ということだ。
そりゃそうだわな、あれからもう35年も経っているのだもの。
娘に対するいじめ
私の娘が小学校3年生の頃、いじめにあっているという話を妻から聞いた。
この時も、父親である私が話をした方がいいと思い、担任の先生と話すために学校に行った。
いじめている生徒たちは、先生の目の届かないところで狡猾にいじめをしているため、そのことに気付いていない先生に、私は「先ずは、その子たちに注意しなくてもいいから、その子たちがどういういじめをしているのかを、それとはなく、気づかれないよう見ておいてほしい」とお願いした。
ところが、その先生の対応が悪く、すぐに、私が先生に話をしたということが、その子たちにも知れてしまい、それ以降、娘の立場は一層悪くなっていった。
私は、その担任の先生に会って話をしたときに、この先生では「難しいだろうなあ」と感じていたのだが、案の定、そのとおりの結果になってしまった。
「学校に行かなくていい」
「先生が信頼できない」とわかったのだから、私は娘に「もう学校に行かなくてもいいから」と声をかけてやった。
妻は「何が何でも行け」と言い張ったが、私は「不登校になってもかまわないし、行ける時は行けばいい」という考えだった。
それ以降私は、娘が「休みたい」というときは休ませた。
そうしながら、幸い、娘は長期に渡る不登校にはならずに、なんとか義務教育を終えることができた。
私がなぜ「行きたくなければ行かなくてもいい」と考えているか
一般の会社にも、熱意を持って一生懸命仕事をしている人もいれば、そうでない人がいるように、学校の先生方にも、熱意を持って生徒に向き合っている方もいれば、そうでない人もいる。
ただ、一般の会社と違うのは、先生方は「子供たちの将来を左右する」重責を担っているということだ。
学校の先生に熱意がないのは、子供を預けている親としては困るのだ。心配なのだ「大丈夫だろうか」と。
その学校の先生が信頼できないとなれば、「親は安心して子供を学校に通わすことはできない」。
「一人の先生が30数人をみる」ということに無理がある
先生方にも気の毒な面は多々ある。
私たちの頃に比べると、授業科目、内容が多岐に渡っており、子供たちに教える量がかなり増えており、そのうえ、部活動の顧問、「いじめをなくすためにどうするのか」「テストの点を上げるにはどうすればいいのか」それに対する書類の作成や、親からかかってくるクレームの電話への対応等で、忙し過ぎて、肝心の「子供たちに向き合うという時間が取りたくても取れないのではないか」と思われる。
私たちが子供だった頃、そういうものは今ほどは「なかったのではないか」
その頃の先生は「時間に余裕があり、心から子供たちと接することができていたのではないだろうか」
昭和の頃、現在のようなテレビゲームや携帯、パソコンのない時代、遊びと言えば「外で遊ぶしかない」シンプルそのものの時代と違い、現代は情報も多く、いろいろと複雑になっている。
子供たちの個性もそれぞれ違う。
それを「一人の先生が30数人をみるということに無理があるのだ」。
親である私たちが学校へ通った時代は、子供たちを学校へ行かせておけば、「先生がなんとかして下さる」そんな信頼感があったものだが、現代はそうはならないのだ。
親はそのことを認識して「なにがなんでも学校へ行かせなければいけない、という考えを改めるべきではないか」と思う。
行きたくなければ行かなくていい
現代の世のいい面もある。
それは、人それぞれ、自由な生き方ができるということだ。
学歴なんかもさほど問題ではないだろう。
そんなことよりも、「自分の好きなこと」「これならできるかも」「こんなことをやってみたい」というようなことを、休んでいる間に、ゆっくりと考えればいいのだ。
何も「必ずしもみんなと同じ道を歩まなければならない、ということはない」のだ。
文科省も言っている。
「学校へ登校するのが目的ではない」
「自立することが目的だ」と。
学校へ行きたくないというのも、自分の意志だ。
「不登校も自立への一歩になる」かもしれない。
9月1日は夏休みが終わり、また、「行きたくない学校へ行かなければならない」ということに悲観して自殺が多いという。
「行きたくないなら、無理をしてまで、行かなくていい」。
親御さんが反対するなら、自分の部屋にバリケードをするなりしてでも、行かなくていい。
恥ずかしながら、私にもそういうときがありました(笑)
くれぐれも、自殺というようなことだけは考えないでほしい!
この投稿が役に立つなら、「どこかのおじさんがこんなことを言っているよ!」と、親御さんにこの投稿を見せればいい。
もし、親御さんがこの投稿を読んでくださったなら、「子供が学校へ行きたくない」と言うのであれば、無理をしてまで行かせるのではなく「休ませてあげてください」。
そして子供さんにより添い、良き理解者になってあげてください。