今朝の朝刊に、公立高校の入試が始まったとの記事。
その記事を見ながら、ふと思いだしたことがある。
私が初めて受験というものに向き合ったのは、中学校3年生の時、
今から44年も前のことになる。
中学3年生の初夏だったかな。
その時に受けた模擬試験の結果が、たまたま良くて、かなり上位にきていた。
テストの後の、担任の先生との面談で「おまえ、頑張っているんだな!」と言われ、
「いえ、何もしていません、たまたまです」とは言えるわけもなく、
「えー、ありがとうございます」と答えたのだが、私は内心「これは困ったことになったな」
何もしていないのに「がんばっているな!」なんて言われて、「どうしよう?」と。
その時、先生に「一生のうちで、あの時、一生懸命勉強したな!」という時期があってもいいだろう。
と言われたことが、私の胸に響いた。
それから私は、その結果がフロックだったと言われないよう、本格的な受験勉強を始めた。
毎晩、深夜放送を聞きながら遅くまで机に向かった。
その頃、ヤングタウンとヤングリクエストという深夜放送があった。
その頃の受験生は、机の横にラジオを置いて、放送を聞きながら勉強をしていた人が多かったのではないか、と思う。
私はヤングタウンを聞いていたのだが、水曜日だったかな、
笑福亭鶴光の「小話コーナー」というのがあった。
毎週「お題」が決められて、それに対して受験生のリスナーが「小話」を投稿(当時のことだからハガキに書いて郵送)していた。
同じクラスの友達にも、この放送を聞いている人がいて、
「どちらが先に読んでもらえるか競争しよう!」ということになった。
それから、二人とも何度か投稿していたのだが、なかなか取り上げてもらえなかった。
競争を初めて2か月から3か月経った頃だったろうか、
その時のお題は「寝小便」だった。
その題を聞いた瞬間、私は「閃いた!」
「寝小便とかけて」
「ヨットで世界一周した堀江謙一さんととく」
そのこころは
「世界をマタにかけます」
やった!
これはもらった!
これなら絶対、ラジオで読んでもらえるだろう!と思った。
翌週の小話コーナー
私は「読まれるかなあ?」と期待に胸を膨らませ、少々緊張気味に、鶴光の声に耳を傾けていた。
次のハガキ・・・・・
岡山県の・・・さんからの投稿。
やったぁー!
読まれた!
次の日、私は意気揚々と登校した。
競争していた友達は、なんだかバツが悪そうに、「やられた」という浮かない顔。
私は「もっと素直に、笑いながら、私の勝利を喜んでくれればいいのに!」と思った。
他のクラスの友達も聞いてくれていて
「昨日、読まれていたな!」
なんて言われて、私はちょっと得意顔。
ラジオで取り上げられると、
普通、鶴光のサイン入りのノートとか、何やらがもらえるということになっていたのだが、
「・・・」変わった苗字やな。
なーんもやらへん!
という、言葉で終わった。
それは、てっきり冗談で、なにか送ってきてくれるのだろう、と思っていたのだが、
本当に、何も送ってこなかった。
純真な中学生の私は、その対応に、がっかりした。
今、考えても、この対応は誠に失礼!
中学生が、受験勉強の合間、一生懸命に考えて、わざわざハガキを送っているのに、
「なーんもやらへん」とはなにごと!
まあ、それでも、「中学生のときの楽しい思い出」として私の心の中に残っている。