最高の上司 3「浪花に生きる」 ~出張の楽しみ~

当時の大阪支社には、東京の本社から赴任されていた方がたくさんいた。

その方たちの中には、都落ちでもしたかのごとく「俺は大阪は嫌いだ」とか、「カルチャーショックだよ」と、言う人がいて、「まあ、赴任している数年の間はがまんして、早く東京に帰りたい」というのが本音のようだった。

けれども、その次長は違った。

「大阪に来た以上は、大阪人になりきるよ!」と言われ、

無理に変な関西弁を使い、カラオケに行くと「浪花のド演歌」を熱唱された。

次長は、その後、福岡支社の支社長になられるのだが、そこでも、博多祇園山笠の祭りに、威勢よく、ふんどしを締めて参加されていた。

そんな熱くて面白い次長を、部下たちは兄貴のように慕い、次長の周りにはいつも人の輪ができ、笑いが絶えることがなかった。

一緒に仕事をするのが楽しかった。

あめ屋

その後も、北陸への出張の際は、よく同行していただいた。

次長はあめが好きで、出張の際にはいつも飴を持ち歩かれていた。

私もよくいただいたのであるが、ある時、こんなことがあった。

金沢の得意先を回り、仕事を終えると、次長が「金沢に数百年の歴史がある飴屋があるから行ってみよう」と言い出された。

私は「飴屋ですかぁー」と、気がなさそうな返事をしつつ、店があるという方向に車を走らせた。

すぐにはそのお店が見つからなかったので、学校帰りの女子高校生に「この辺に飴屋がありませんか?」と尋ねたりしたのだが、「知らない」と言う。

私が「次長、本当にそんな店があるのですか?」と言うと、「あるよ、この辺にあるはずなんだよ」と言われ、周辺を探して回っていると、「あった!」

その店は木造りでできていて、床は、歩くと「ぎーぎー」ときしみ音がして、いかにも歴史を感じさせる風情のある建物だった。

有名なお店なのだろう、壁には、この店を訪れた際に撮った芸能人の写真がたくさん貼られていた。

この店の飴は、一粒ずつ成型されたものではなく、「かち割り」。

一枚の大きな飴を、叩いて割っているだけ、そんな豪快な飴だった。

「確かに次長が言われるだけのことはある」「これは来た甲斐があった!」と思った。

次長は「そうだろう、凄いだろう、美味しいだろう」「俺の言った通りだったろう」と得意顔だった。

ファントム

ある時、小松空港のあたりを車で走っていると戦闘機が離着陸しているのが見えた。

次長が「おい、凄いな、ちょっと観に行こうよ」と言われたので、ファントムが降りてくる誘導灯の横まで行き、車を停めた。

来た来た、誘導灯をめがけて勢いよく降りてきた。

ちょうど私たちの真上を「バリバリバリ!」とそれほもう、とても言葉では表現することができないような、もの凄い爆音を轟かせて飛び去っていく。

その爆音が地面に跳ね返り、私たちの身体は宙に浮いたようだった。

次長と私は、そのあまりの爆音の大きさに、笑えてきて、「凄いな、凄いな」と、まるで子供のようにはしゃいでいた。

その後、私はF-1を観に行ったことがあるが、その時も、あまりの音の大きさに「なに、これ」と笑いが出てきたものだが、この時の音は、そのF-1の音よりも大きかったように思う。

やはり、F-1といえども、戦闘機のジェットエンジンにはかなわないのかもしれない。