平成27年度に、近世日本の教育遺産群 -学ぶ心・礼節の本源ー として、栃木県足利市の「足利学校」・岡山県備前市の「閑谷学校」・大分県日田市の「咸宜園」・茨城県水戸市の「弘道館」が日本遺産に認定されました。備前市で育ち、閑谷学校になじみのある私にとってはとてもうれしいことです。
庶民のための学校
今から330年ほど前の江戸時代、「庶民の教育のために」創られた世界最古の公立学校「閑谷学校」。
その意志は、紆余曲折はあったものの大切に引き継がれ、現在も多くの子供たちがここ閑谷学校にある研修センターで学んでいる。
備前市で育った子供たちは、小学校、中学校の林間学校として、また、中学2年生の時に行われる立志式もこの閑谷学校で行われる。
お正月に初もうでに閑谷神社を訪れる方もいる。そういえば私がまだ小学生だった頃、家族でサイクリングで訪れたこともあった。というように、閑谷学校は、備前市に住んでいる人たちには子供の頃から慣れ親しんでいる存在になっている。
国宝の講堂
ちなみに国宝の講堂の床が鏡のように光り輝いているのは、地元の子供たちが行事で訪れる度に「一生懸命に磨いていることも大いに貢献しているのではないか」(笑)と思われる。
楷の木の紅葉
現在は、秋の紅葉で有名になった「楷の木」であるが、私たちがまだ小中学生だった頃は、ほとんど注目されていなかったように思う。いつからだろう、脚光を浴びだしたのは・・・・・おそらく、ここ30年ぐらいのことかもしれない。
私自身も櫂の木が話題になりだしてから何度か訪ねたことがあるが、駐車場に車が置けないほどの人が来ていて、驚かされる。以前は、駐車場が満車になるというようなことは考えられなかったので。
けれども、そんな賑わっている姿を見られるのは、地元で育った人間としてはうれしく思います。
※毎年、紅葉の時季には「ライトアップ」のイベントもあります。
黄葉亭
岡山県研修センターの横を川沿いに東に向かい500mほど歩いていくと「黄葉亭」がある。このなんともいえない風情のある建物は、今から300年ほど前に、来客の接待や教職員の憩いの茶室として建てられたそうだ。ここまで歩いて来られる人は少ないかもしれないが、道中には岡山藩主、池田光政の命を受け、閑谷学校を創建した津田永忠宅跡もある。
人里離れ、静けさのなかに佇む茶室、そばには小川が流れ、そのなんともいえない「わびさび」が感じられる雰囲気がとてもいい。私は閑谷学校を訪ねるとき、必ずここまで足を運ぶことにしている。
「川沿いに鳥のさえずりを聞きながら歩いていく、清々しくて気持ちがいいものですよ」
閑谷学校資料館
国宝の講堂から火除山の横を抜け、石塀沿いに西へ歩いていくと閑谷学校資料館があります。この建物は、明治38年に私立閑谷校の本館として建てられたもので、明治時代の大型木造建築の特徴をよく現わしています。
その後、研修センターとして利用され、現在は閑谷学校の貴重な資料を展示する資料館として公開されています。私たちが子供の頃、研修で宿泊したのはこの木造の建物だったので、建物の中に入ると当時のことが思い出されて、とても懐かしい思いがします。
「庶民のための学校」の伝統は、引き継がれていく
キャンプファイヤーの炎、ちょっぴり怖かった暗夜行路、宿舎で食べたカレーライスは美味しかった、四つんばいになりみんなで磨いた講堂、冬の寒さの中冷たい講堂に座り話を聞いた立志式・・・・・子供の頃学んだ閑谷学校での経験は、今でも心の中に楽しかった思い出として残っている。
今から約350年前、江戸時代前期に「庶民のための学校」として開かれた閑谷学校は、今もこうして、子供たちの学びの場として利用されている。
その姿を見て、この学校を創建してくださった方々、また、廃校の危機に陥った時に守ってくださった方々は、とても喜ばれていると思う。
こんな素晴らしい学校を創り残してくださったことに感謝するとともに、未来に引き継いでいく使命が私たちにはあると思う。
文字通り、山間の閑かな場所に建つ閑谷学校、周囲は緑に囲まれていてとても気持ちがいいです。
ここを訪れ、改めて、日本人の良さである「学ぶ心・礼節」を感じてください。
閑谷学校を訪ねる アクセス
岡山方面から車で来られる場合は、国道2号線を姫路方面に向かい、閑谷学校入口交差点を左折します。大阪方面からですと、この交差点を右折します。入口には下の写真のような看板が掲げられていて、楷の木のモニュメントも立てられています。ここから北へ約5km走ると閑谷学校に到着です。
岡山方面から国道2号線を走ってくると、順に、刀剣の里「備前長船刀剣博物館」、備前焼の里「伊部」を通ることになりますので、先にそれらを見学されてくるのも良いかもしれませんね。