動 機
私は何度かの転職を重ね、住宅の営業をしていた45歳の時に宅地建物取引士の資格を取得した。
動機は、仕事に関係があるし、資格を取得していれば、将来、独立して開業することもできるという思いからだった。
勉強は44歳の頃からボチボチと始めたのであるが、仕事をしながら勉強時間を捻出するということがたいへんだった。
営業という仕事柄、夜は遅くなるので、朝早く起きて、日中の営業の合間に、休日にと、時間を少しずつ作っては勉強していた。
勉強は、その会社に転職する7年から8年前の無職だった頃に「資格でも取ろうか」と思い、買っていた参考書(その時は買ったものの、眠たくなるだけだったので、結局、勉強しなかった(笑))を引っ張り出してきて、独学でした。
不合格
最初の年は「合格しなければ」という強い気持ちはなく、それほど勉強もしていなかったので不合格だった。
まあ世の中、そんなに甘くはないわな(笑)
それでも、それまで勉強などしてこなかった人間が、曲がりなりにも勉強をして試験に臨む、試験の日の朝、早めに家を出て試験の時間を待っている間、受験会場の岡山大学のキャンパスのベンチに腰掛けていると「いいものだな」と思えた。
2回目は「今年は合格しなければ」という思いはあったのだが、1回目の成績がそこそこ良かったので、気持ちにゆるみがあり、勉強を開始するのが遅れ「このままではヤバい」と、試験直前になりあわてて猛勉強をした。
大人知恵熱
その時は、あまりにも短期間にいろいろなことを頭に詰め込んだので熱が出た。
それまで勉強などしてこなかった私は、その時初めて「知恵熱」って本当にあるんだと実感した(笑)
とりあえず「頭を冷やしてクリアにしなければ」と思い、試験前3日間は、一切勉強をしなかった。
そんな調子で2回目の試験に臨んだのだが、できなかった。
試験を終えた後、自分で答え合わせをしてみたが「こりゃ、落ちたわ」と思った。
「なにをやっているんだ!」と自分自身に腹が立った私は、早速、次の日から来年に向けて勉強を始めた。
来年は試験を終えた時には「これは受かったな!」と自信を持って言えるように。
合 格
合格発表の日、一応、結果は見に行った。
それは、落ちたことをこの目で確認して、それをバネにして勉強するために!
・・・・・・・・・
「合格!」
なんと、てっきり落ちていると思っていたのが受かっていた。
無茶苦茶うれしかった。
そして、その瞬間私の中でなにかが弾けた。
「パチーン!」と。
人生が変わった
その時以来、私の人生は180度変わった。
超前向きな人間になった。
それまでの私は自分に自信がないような人間だったのだが、この合格で「頑張ることにより成果が出た」「認められた」ということで、自分に自信が持てるようになったのだと思う。
振り返ってみると、宅地建物取引士の資格を取ろうと勉強を始めた時から、私は変わりつつあったのだ。
その年の冬、ふと「私という人間は同級生の記憶の中に、あまり残っていないだろうな」というようなことを思い、自らが発起人になり、数十年ぶりに高校の時の同窓会を開催した。
参加している同級生から「まさか、お前がこういうことをやるとは思わなかった」と言われた。
「そうだろうな、そういうふうに思われていたんだろうな」と納得(笑)
仕事の方では、新しい展示場のオープンに店長として赴任したりもした。
それから間もなく、私は「今ならまだ新しいことを始められる!」と、思い切って脱サラをして不動産業を始めた。
その時、私は49歳になっていた。
その後も、町内の副会長に立候補したり、子供の中学校の補導部長に立候補したりもした。
これは、私が進んで立候補したということではなく、誰もやりたくないというので「それなら私がやります」と申し出た。
やってみれば、それはそれで面白いものだった。
宅地建物取引士の勉強を始めたのは、今から19年前の私が44歳の時だった。
その頃、リスキリングと言う言葉はなかったけれども、私にとってのリスキリング、宅地建物取引士の資格の取得は、その後の私の人生を大きく変えたのだった。
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