今から32年前、私が26歳だった頃、「最高の上司」と言える人に出会えた。
当時、ある会社の大阪支社に勤務していた私は、営業マンとして、北陸方面の得意先の担当をしていた。
北陸へは、月に1回、2泊3日の予定を組み出張していたのであるが、その上司は、まだ、駆け出しだった私によく同行してくださった。
出張は車で行くので、3日間は行動を共にするのであるが、その間に、いろいろな話を聞かせていただいた。
それらの話は、その後の私の人生に、大いに役に立つことになった。
その時は、わからなかったけれど、後になって「あの時、言われていたことはこういうことだったのだな」という場面に出くわすことが何度かあった。
私に「あーしろ、こうしろ」と言うわけではない、
「以前、こういうことがあったぞ」
「こんな考え方もあるかもな」と、
さりげなくアドバイスしてくれていたと思う。
仕事を教えるというよりも、もっと大きな目で「生き方を教えてくれていたのだ」と思う。
聞かせていただいた話の一つ一つは、今でも鮮明に覚えている。
エピソードもたくさんできた。
一緒に仕事をしていて、とても楽しかった。
まだ若い時、こんな素敵な上司と一緒に仕事ができたことは、私にとって、何ものにも代えがたい宝物となった。
出会い
「ごちゃごちゃ口で説明するよりも、先ず、店に立ってもらう」
「話はそれからだ」
店長からの言葉だった。
この店長とは「合いそうだな」と感じた。
前年、大学を卒業した私はある会社に就職したのであるが、その会社を半年で辞めて、年明け、職業安定所(現在のハローワーク)でみつけた会社への就職が決まり、研修を受けていた。
東京での研修は5日間あり、そのうちの1日が東京店での研修だった。
当時、店長をされていたのが三浦店長で、その3年後、まさか、大阪支店で一緒に働くことになろうとは、その時は、お互い夢にも思っていなかったことだろう。
研修を終えた私は岡山営業所に帰り、営業マンとして働くようになった。
仕事に慣れてくると、若かった私は「俺ぐらい仕事をしている奴はいないだろう」ぐらいの生意気な態度でいた。
そんな調子で3年ぐらい経った頃、私に大阪転勤の辞令が出た。
もともと都会志向だった私は、入社する際に、転勤可能、東京・名古屋・大阪希望としていたので、私が指名を受けたのだろうと思った。
「望むところだ!」とばかりに、私は、二つ返事でその辞令を快諾した。
都会の渦に飲み込まれる
意気揚々と大阪に乗り込んだ私だったが、そこで、完膚なきまでに叩きのめされた。
仕事量が全然違う、スピードが違う、
私は都会の渦に飲み込まれてしまい、自分を見失い、日頃できていた業務までできなくなってしまっていた。
上司からは「あいつは仕事ができない」というレッテルを貼られた。
しかしながら、もともと実力のある私は(笑)、その都会のスピードと仕事量に慣れていくにつれ、だんだんと頭角を現すようになり、転勤して1年ぐらい経ったころには、上司から、大きな仕事、大切な得意先の担当を任せられるぐらいにまでなっていた。
再 会
私が大阪に赴任した翌年、入社の際、研修でお世話になった東京店の三浦店長が、転勤で大阪に赴任して来られた。
あの時「気が合いそうだな」と感じた店長だった。
それも、その年から次長として、北陸方面の担当になった私の直属の上司になられたのだった。