人間年齢を重ねてくると、物事に対する感動が薄れてくるものだ。
それは、経験を積むから
体力や気力が衰えてくるから
若い時は初めて経験することが多いので、感動も新鮮であるが、年齢を重ねていくと、それに比例して経験することが増えていき感動は薄れてくる。
また、年齢を重ねるにつれ、体力や気力は衰えてくるので、感動どころではなくなるということもある(⌒∇⌒)
たとえば、私は地方都市に住んでいるが、たまに東京とかに出て行く機会があると、若い頃なら、立ち並ぶ高いビルや雑踏を見て「何かが起きそう」みたいな「ワクワク感」を抱いたものだが、今では、人込みを見るだけで「ゲッソリ」して、「こりゃ早く用事を済ませて帰ろう」(⌒∇⌒)となるのだ。
また以前なら、あちこち見て回って「良かったなあ!」となるところが、そういう感動よりも先に「あー疲れたぁー!」となるのだ。
寂しいことに(⌒∇⌒)
先日、散髪に行った時のこと。
マスターが「北海道どうでした?」って聞いてくれたので、
私は待ってました(⌒∇⌒)とばかりに、
「良かったよぉー!」
「最高だった!」
「苦労の末、シャチを見ることもできたよ!」
「もう涙が出そうになるぐらいうれしかったわ!」っ答えると、
マスターが、
「それは、よかったですねえ!」
「年とっても、涙が出そうになるぐらいの感動ができるなんて、いいですよね!」
って言われた。
その後も、いろいろと土産話を聞いてもらったり、マスターからも、釣りに行って、大きな鯛を釣り上げた時の写真を見せてもらったりして、楽しい会話が弾み、散髪の時間は、あっという間に終わった。
それから、1週間ぐらい経った頃、ふと、その時のマスターの言葉が思い出された。
「年とっても、そんな感動ができるなんていいですよね!」という言葉が。
確かにそうだ。
現在、2年前に還暦を迎え62歳になった私は、最近は「感動が薄れてきたなあ」と感じていた。
けれども、そんな私でも、「体の奥底から感情が込み上げてくるような、涙が出そうになるぐらいの感動」が、まだできたのだ。
それはやはり、圧倒的な初めての体験をしたから。
今回の知床旅行では、シャチを見たということだけではなく、そんな新鮮な感動の連続だった。
その時、その時が、まるで「夢を見ているかのような時間」だった。
この旅行で、私の眠りかけていた感動が、再び「目覚めた」のだ。
私は今回の旅行で、北海道の広大な大地を車で走りながら「こういうところで、伸び伸びと育った人間は違うだろうなあ」と思った。
「心が広い」人間になるのではと。
帰路、女満別空港から飛び立ち、眼下に広がる北海道の大地を眺めながら、
私は「知床ありがとう!」って、心の中でつぶやいていた。
帰宅してから日常の生活に戻り1か月が経った、「私の中で何かが変わっている」と感じている。