私は22歳で就職してから転職を5回経験しました。
転職を決断する際には、随分と思い悩み決断したこともあるし、悩むことなく「サッ!」と決めたこともあります。
そんな私の転職に至った理由をお話します。
22歳で就職したのは中堅の広告代理店でした。
この会社へ就職したのは、父親のコネによるものでした。
転職の理由 その1「向いてなかった」「できなかった」
私は大学4回生の時に、就職活動は一切せずに、父親のコネだけを頼りにしていたのですが、
思うようには行かず、新年度が始まるギリギリのところで、この広告代理店への就職が決まりました。
そんな適当な甘い考えだったので、その仕事がやりたいとかというものはなく、とにかく就職をしなければというぐらいの安易な考えしかありませんでした。
入社してみると、その仕事の内容は、飛び込みで注文を取ってくるとか、電話セールスで注文を取るというようなものもあり、私にはできませんでした。
「これは無理」ということで、5か月ぐらいで早々に辞めました。
会社の方や父親に迷惑をかけてしまい、大いに反省しました。
転職の理由 その2「将来が見えない」
広告代理店を5か月で辞めてしまった私は、そこで初めて就職活動を始めました。
同級生のみんなからは一年遅れということになりますね。
「なにかいい仕事はないかなあ」と職業安定所(現在のハローワーク)に通いました。
もう40年ぐらい前のことなので、はっきりとは覚えていませんが、クロネコヤマトとかにも面接に行ったような記憶があります。
そんな活動を続けているうち、ある中堅の照明器具メーカーが営業マンを募集している求人に目が留まりました。
「この会社、いいのでは!」
メーカーなら営業色も薄まるのではないかと思えました。
そして、運よく採用が決まり、その会社へは約10年勤めました。
その会社は私の肌にも合い、途中、大阪へ転勤したり、上司にも恵まれ楽しく充実した時間を過ごすことができました。
では、なぜ、そんな会社を辞めたのかをお話します。
その会社は本社が東京にあり、照明器具のメーカーと言っても、ホテルの照明とかモダンな施設とかの照明器具を作ることを得意としていました。
私は大阪に転勤になった時に、もう出身地である地方都市には帰るつもりはなかったのですが、人生は思うようにはいきませんね。
大阪で充実した時間を過ごしている時にアレルギー性の病気にかかってしまったのです。
また、その時にかかった医者の治療が悪く、薬の副作用がひどく出て、私は仕事から離脱するしかなくなり、3カ月ほど休職しました。
こうなると、もう仕事どころではなくなり、実家のある出身地に帰らしてもらうことはできたのですが、先にお話ししたとおり、仕事の性質上、地方にはそれほど仕事はなく、病気が快方に向かうに連れ「面白くないなあ」と思うようになりました。
その時、私はその小さな営業所の責任者にはなっていましたが、「はっきりいって、地方ではこの仕事は難しい、市場規模から考えると営業所は要らないのでは」と思っていました。
私は次第に退職を考えるようになっていきました。
これが、あと5年で定年とかいうのであれば、仕事が面白くなくても辞めないだろう。
けれども、私はその時まだ31歳、社会に出て10年、いろいろなことがわかり始めてきたときで、「よーしこれから!」という時にこの状況では寂しい。
私は退職を決意しました。
その時の上司からは、「ならば大阪に出て来い」とも言われましたが、私は「また病気が再発してしまっては」という不安があったため、お断りしました。
これは余談になりますが、退職するかどうか思い悩んでいた時に、ある本に、欧米では転職の理由に「その仕事に飽きてきたから、他の仕事もしてみたい」というものがある、と書いてありました。
私もその仕事を初めて10年経っていたので、その気持ちがわかるような気がしました。
私が辞めた直接的な理由ではありませんが。
この時は、次の仕事を決めていました。
転職の理由 その3 「社風が肌に合わない」
次に勤めた会社は、工場用品のメーカー兼商社でした。
この会社は同じメーカーでも、前に勤めた照明器具のメーカーと違い、「売れるまで帰ってこなくてもいい」というような、泥臭い営業を求められました。
それはそれで、勉強にはなったのですが、何と言いましょうか、その会社の社風が、性格が真っ直ぐではなくゆがんでいるみたいなところがあり、私とは肌が合いませんでした。
そんなふうに思っていると、どうしても態度にも現れますよね、私は、だんだんと上司の評価や受けが悪くなっていきました。
このあたりは、中途で入った難しさもあったと思います。
たぶん、これが学校を出てすぐに就職した会社であったなら、また違う展開になっていたかもしれません。
私は、「この会社にいても、私が日の目をみることはないだろうな」と思い、辞めることにしました。
この会社には約5年勤めました。
この会社を辞めるときは、前に勤めた会社を辞めるときのように思い悩むこともなく、あっさりと辞めました。
この時も、次にする仕事は、一応、決まっていました。
転職の理由 その4「飛び込みは続かない」
次に勤めた会社は、外資系の工場向けの補修材のメーカーでした。
その会社は、東京の本社はあるのですが、全国各地に何人かいる営業マンが自宅を拠点に、その会社が扱っている補修材を、工場に向けて販売していくというスタイルでした。
私は、その勤務スタイルが気に入って、その仕事を始めたのですが、基本的な営業スタイルは、飛び込みになるので、長続きしませんでした。
「これは無理」と、思い悩むこともなく、あっさりと辞めました。
この時は、次の仕事はまだ決まっていませんでした。
転職の理由 その5「戦略がない」「ビジョンがない」
前の会社を辞めたとき、私は37歳でした。
次の仕事を探そうと、再び、ハローワーク通いを始めましたのですが、30台の後半にもなると、求人の数も少なく、この時は苦戦しました。
三社ほど応募して、そのうち、二社は面接までいったような覚えはありますが、採用にはなりませんでした。
結局、私はあるハウスメーカーの営業をすることになりました。
それまでに私が勤めた会社の本社は、それぞれ、大阪、東京、大阪、東京だったのですが、この時初めて、地元が本社の会社に勤めることになりました。
住宅の営業、家を売るという仕事は厳しいものでしたが、その分、売れたときの喜びは大きく、また、お客さんの夢の実現のお手伝いをさせていただくという、やりがいを感じることもできました。
どの会社へ勤めてもそうでしたが、仕事に慣れてくると、
「こうしたほうが、良くなるのではないか」というような考えが芽生えてくるものです。
私は、それを会社に対して進言したりもしたのですが、この会社は「古き体質から抜け出すことができず、また改革しようという意欲が乏しかった」ように思います。
この会社には、戦略がなければビジョンもなかったですね。
その時、私は49歳、残された時間もそんなにあるわけではない。
ここまで、なんとか会社を改善しようと試みてきたが、もうこれ以上はつき合い切れない。
時間がもったいない!
今なら、まだ、新しいことに挑戦できる。
私は退職を決意して、独立することにしました。
この時は、さすがにすぐには結論が出せずに大いに悩みました。
当時、二人の子供は、12歳と7歳だったし、「辞めて独立するとなると、その後の生活はどうなる、やっていけるのか?」
「そんなことは考えずに、このまま会社に残り定年まで勤めた方がいいのかも?」
などと、いろいろと思い悩み、考えました。
独立を決意
けれども、「最後は自分が思うようにやってみよう。」
「今まで社会で経験してきたことの集大成だ!」と決断しました。
その時、「もし、ここでやらなかったら、死ぬ間際に、あのとき、失敗してもいいから、やってみたらよかったのに!」って思うだろうなあ、なんてことも思い浮かびました。
私は意を決して、上司に退職を申し出ました。
その頃は、リーマンショックの後で、会社の責任者からは「正気の沙汰とは思えない」、
「期待しているから会社に残ってほしい」と、引き留められましたが、はっきりとお断わりしました。
まとめ
以上、私が経験した五回の転職の理由をお話しました。
言えることは、続かなかった飛び込み営業を除けば、10年、5年、11年と長くは勤めてきました。
5年で辞めた会社を除けば、「その2 将来が見えない」「その3 戦略がない ビジョンがない」と前向きに自分の将来を考えた結果が、転職という決断に至っています。
私は転職することで、いろいろな仕事も経験できたし、視野が拡がったので、とても良かったと思っています。
最後に、「転職をする際に誰かに相談したのか?」についてお話しておきます。
私は5回とも、誰かに相談するということはありませんでした。
自分で考え自分で決断しました。
自分の将来のことですもの、それは自分で決めるしかないでしょう。
ただし、結婚後は、会社に言う前に、妻には話をしました。
反対されましたが、私の心が揺らぐことはありませんでした。
立つ鳥跡を濁さず
サラリーマンが最後となった五回目の会社を辞めた時のこと、退職して半年ぐらい経った頃だったかな、一緒に働いていた同僚から「・・さんは偉いよなあ、辞める時に、会社の悪口など一つも言わなかったものなあ」と言われたことがあった。
そりゃあ、私にだって会社に対する不満はある。
けれども、ここまで、私を社会人として育ててくれたのは、会社のおかげだ。
お世話になったことはまちがいない事実だ。
私は、不満をぶつけるというよりも「感謝の気持ちでいっぱいだった」
同僚からのその言葉を聞いた時、そんな私を見てくれていたような気がしてうれしかった。