先週の土曜日のこと、備前焼祭りを見ての帰り、赤穂線の伊部の駅は、岡山行きの電車を待つ人であふれていた。
ほとんどの人は行儀よく2列に並んで待っていたのだが、電車が来て乗車を始めた途端、横入りする30歳ぐらいの悪い男がいた。
それを見た、私の前に並んでいた初老の男性の方が、すかさず「お兄ちゃん!」と声を発して、その悪事をとがめようとしたのだが、その悪い男は、聞こえなかったのか、それとも聞こえないフリをしたのか、知らん顔。
そこで、初老の方がもう一度、大きな声で「お兄ちゃん!」と呼びかけると、今度はこちらを振り向いたので、
「みんな、並んどるやないか!」ときつい口調で注意された。
そうすると、その悪い男は、ばつが悪そうに最後尾に並んだ。
私は「悪い奴がいるな」とは思ったが、「ちゃんと並んでくださいよ!」という声は出てこなかった。
その初老の方に続いて私も乗車した。
車内は満席だったが、運よく一つの席が空いていて、そこに初老の方は座られて、買ったばかりの備前焼を箱から出して、吟味するように眺められていた。
背筋が伸びて、「キリッ!」っとした顔つきの、一本筋が通った感じの人だった。
その方の一言は、並んでいた「私たちの気持ちを、言いたいことを代弁してくれた」ようで、気持ちよくも思えたのだが、同時に、私の心の中には、なぜ「自分は注意できなかったのかな」という、なんとなくスッキリしないような、モヤモヤ感が漂っていた。
以前にも、バスに乗っている時に、隣の席にまで荷物を置いていた高校生に、
「車内が混んでいるんだから、荷物をどけなさいよ!」と毅然とした態度で注意されている方を見かけたことがある。
この方も初老の男性で、背筋がピンと伸びて、厳しさを感じさせる顔つきの方だった。
この年代の方たちは、「していいこと」「してはいけないこと」、「他人に迷惑をかけてはいけない」ということを、子供の頃から、厳しく教えられていて、それが、しっかりと身についておられる方たちだと思う。
それは、親や先生からだけではなく、周りにいる大人が注意して、教えてくれていたのだ。
現在は、そんな大人が、だんだんと減ってきていると思う。
その初老の方の毅然とした態度に、清々しさを覚えると同時に、自分自身の態度を考えさせられた。